女性からコケにされ続けて

サウザー聖帝の、僕愛のアマゾンレビューが痺れたので、転載させて頂く。

 

以下本文

 

僕の名前はサウザー。誰よりも愛深きゆえに愛を捨てた男。

今日は『非モテコミットと愛』について、恋愛戦士および恋愛工学をこれから学ぶかもしれない皆様と論考を共有させて頂きたきたいと思います。「ぼく愛」出版とそれに伴うAmazon川へのブックレビューチャンス、恋愛工学徒として一度きりの晴れ舞台に何を書こうか色々と思案したのですが、ありきたりの感想文を投稿しても仕方が無いと思い、ここは一つ、いつも僕が本家の『週刊金融日記』の方に寄稿するのと全く同じ形式を借りて、恋愛工学の精神を表すべく一筆執っちゃろうかと思った次第です。では以下本文です。よろしくお願いします。

-----

人間が、二本の脚で立って歩くようになって、440万年の年月が経った。250万年前に初期の石器使用と肉食を覚え、少しずつIQが向上し始めた。170万年前にはホモ・エレガスターへと進化し、それまでのサル山的だった雌雄関係から、男が自分の子を産んだ母親を守って養う事に関心を持ち始めるという変化が起こった。『恋愛』の誕生である。

そして、時は流れる。僕たちが現代的な『人間』の外見や大脳等のスペックを完成させてからの年月は、僅かに4万5千年を数えるに過ぎない。農耕牧畜が始まったのがやっと9000年前。『人類史』という規模で考えれば、現代と言われる時間は瞬きする間も無いほど一瞬の出来事である。

僕たち現代人の身体や精神の大部分は、石器時代に形作られたものだ。とりわけ「何となく」とか「フィーリング」とか言われる一瞬の判断は、今も石器人の脳ミソが行っている。この石器脳の反応が、現代社会の多くの事象と整合していないが故、悲劇は繰り返されるのである。

石器時代を生きるご先祖様たちはいつもお腹を空かせていて、病気になればすぐに死んで、野山をうろつく大型肉食獣に出くわせば食われたし、他部族の男に捕まれば男なら殺され女ならレイプされ、ひどい時は食肉として食われたりもした。常に他部族との間に戦争があって殺し殺されしてた訳で、とかく人の命の軽い時代だった。石器時代は暴力が支配する世、暴力に怯える世であった。

ゆえに腕力に劣る女性の立場は、現代よりずっと低いものだったと考えられる。一人で外を歩けばライオンに食われるし、ストーカー男に追い掛け回されレイプされるしで、誰かに守って貰わないと命をつなぐのもおぼつかない弱者の立場を強いられていた。よって、女にとって自分のボディガードをしてくれる男を見出し、固い絆を結ぶ事は、生存戦略上の『スーパー重要課題』であったに違いない。男は、女を警護してライオンと闘いストーカー男を撃退する(時に、自分が女の身代わりに死ぬ)。それと引き換えに、食事、洗濯、その他家事労働で女を使役しても良い互助契約を結んだ。当然セックスもした。「は?家事がダルい?嫌なら出て行けば?」と男に言われれば、女は従うしかない。サバンナに放り出されてライオンに食われるよりマシだ。

良くも悪くも女の子の心と言うのは、こう言う石器時代の過酷な環境下で、男の庇護を受けると同時にアゴでコキ使われる生活に適応しながら作られて来たと考えられる。当時は男子も成人前にサクサク死ぬので、立派に成人しただけの男でも希少価値が出てかなりモテたろうし、弱肉強食ゆえの男尊女卑は当然の社会規範であって、大の大人の男性がたかが小娘如きに媚びたり見上げたりする事って絶無だったんじゃないかな、と。アルファ、ベータ、以前の問題として。大事なのでもう一度言うけど、女の心はこう言う環境で作られてる。

現代は石器時代と違って、法律もあるし警察もいるし、オートロックのマンションもあるし、ライオンは居ないし、ストーカーレイプ魔はすぐに豚箱行きだし、女が普通に生きてて生命の危険を感じるほどの事故に遭う事はまず無い。特別に男に身を守って貰う必要性も消滅してしまった。よって「恋愛」の主な目的はボディガードからセックスになった。ここにおいて男は、女を守りライオンと格闘する仕事を失い、女にセックスをおねだりするだけの弱い立場に追いやられたのである。また、現代の男は身体を鍛える必要も無い。

かくして「強くなった」女は、こうほざいた。

「優しくて、誠実で、低姿勢な男が好き」

と。

「ぼく愛」の物語本編は、主人公のわたなべ君が、交際相手の女からデートをドタキャンされるシーンから始まる。この手前勝手極まるドタ女に対してわたなべ君は、

「急に仕事が入っちゃうこともあるよね。お仕事がんばってね。また、ディナーしたいです。都合がいい日を教えてください」(P9,10より)

と、絵に描いた様な「優しく誠実で低姿勢」の対応を見せる。なぜならセックスさせて欲しいからだ。優しく親切に接しておれば、きっと女も分かってくれる、セックスさせてくれるし、必ず自分の事を愛してくれる、いつかおれの誠実は報われるはず、そう信じている。後日、わたなべ君は両の膝を地に着ける事になるが、その辺の話は本編を読んで確かめてくれ。

女は本当に誠実な男が好きなのだろうか?

難しい問題である。しかし、これだけは僕にも断言できるのだが、女は卑屈で怯懦な男が大嫌い、と言う事だ。誠実さは、それと混同され易い。

そもそも石器時代の戦争の最大の戦利品は女だった。攻めこんできた異国の武装集団が「ヒャッハー!女を渡してもらおうか!」と恫喝して来たとして、「ハイどうぞ!」と二秒で白旗振って女衆を差し出す臆病な男たちが、女に慕われるはずなんか無い。早晩、コミュニティは内部崩壊し、他部族に攻め滅ぼされて淘汰されたであろう。こう言う淘汰圧を経て、女の遺伝子にはこの手の「意気地無し男」がいかにヤバイものかを深刻に認識し、忌避する本能が刻まれていく。

現代日本には優しくて誠実な「弱い男」で溢れている。本来希少なはずの立派な成人男子が、へこへこ女に媚びへつらい、セックス欲しさに下からハアハア見上げている。人畜無害なお兄ちゃんキャラや弟キャラで友達として接し、いかに自分が女性に対して潔癖な男であるか、性格が温厚で争いを好まない男であるか、アピールすれば女は「落ちる」と洗脳されて来たからだ。
なのに、この男、突如としてLINEで女に「告白」をする。何の脈絡もなく、ずっと好きだった、とメッセージする。それが『愛』だと思って。

女は、

「こいつめちゃくちゃキモイな」

と思う。

現代人の脳で考えると、この男は恋愛の仕方や女の扱いが下手なだけで、真面目に働いていて生活力もあり性格も温和で、良い男なのかもしれない。
しかし、女の石器人の直感が教えるところによると、自分のごとき小娘相手にへこへこ迎合し下手に出ざるを得ない男は、どこかに欠陥を抱えているんじゃないか、本来男はもっと自信満々に女を守ってやる対象として扱うはずだから、こいつは何かおかしい、だいいち目の前のオドオドしたこいつはいざライオンと闘うという時に動物相手に命乞いしかねない奴かもしれない、闘争心の欠片も無さそうだしな、やっぱナシだわ!気持ち悪っ!となる。

ここでは小説本編とは違う切り口で、非モテコミットの論考を試みたが、新たな入門者の参考になれば幸いだ。非モテコミット回避法については、「ぼく愛」本編を読めばつまびらかになる事だろう。

二つ目。女性にとっての『愛』について。救いの無い話だが、あれは単なる女の生存本能だ。よく女は30歳前後ぐらいから何の脈絡もなく、

「結婚したい」

「愛が欲しい」

と、パクパク繰り言を垂れる事があるが、これぞ石器時代の本能が見せる幻で、女の心は、男が傍らに侍り守ってくれている実感が無いと、精神が安定しない仕掛けになっている。要するにライオンが怖いのだ。外敵に対する漠然とした怯えが、遺伝子に深く刻まれてる。『食われる側』の生き物が持つ恐怖心が、男の絆とその保護を強く求めているのである。

ゆえに、女はいくら仕事で成功してカネを稼いでも、高い服着てゴージャスな身なりをしても、華やかな交流の中でちやほやされても、富豪のじじいに高価なバッグやメシ貢がせても、SNS上でキラキラ勝ち誇って喚いても、空虚な心が満たされる事は決してないのである。本能からは逃れられない。

「一生独身はいやだいやだ!こわいこわい!誰か助けて!」

悪夢にうなされてガバっと起きると、隣では愛する旦那さんがスヤスヤ寝ている。

「あ、そう言えばわたし結婚してたわ、よかったー」

とまあ、これが『愛』なんじゃないですかね。

『愛』は、女がふわふわして気持ち良くなる為の娯楽玩具では決してなくて、恋愛工学を使ってその目的を考えれば考えるほど、生存と生殖の利益にドライに直結しており、むしろ暗鬱になるぐらいである。これが恋愛工学がパンドラの箱と言われるゆえんだ。恋愛工学は人間の『愛』すら相対化する。ヒトを動物の一種と捉え、恋愛はその動物の生殖と考える所から始まる。恋愛が単なる生殖ならばそれはゲームだ。統計学を使って処理して、妥当解を割り出す事が出来る。

『愛』は、別に美しいものなんかじゃない。

今、恋愛工学生の間では筋トレが流行っている。恋愛工学的アプローチは、女の子たちが今なお太古の昔にライオンやストーカー男から追われた記憶に怯えている事を教えてくれた。ならば男は、女の子をライオンからお守りしなければならん。筋トレして、肉を食って、精神を鍛え、頼れる男にならねばならん。心身ともに屈強の男になって初めて、優しさと誠実さは意味を持つ。「お前を抱きたい」と言うセリフもサマになる。軟弱な男が言う愛だの優しさだのは、しょせん自分も女も際限なく甘やかすばかりの逃げに過ぎず、女を不安にし、結局、不幸にする。

確かに、恋愛工学は上手いこと女をたぶらかしてセックスに持ち込む為の用途でも、極めて有用だ。しかし、一方で『愛』をこれまでとは違った角度から観察して定義しなおし、男女間の素晴らしい人間関係を築く為のツールとしても強力に機能する。ライオンはその例だ。もしあなたに意中の女性が居るのなら、へこへこ見上げたりせずに「俺が守ってやるよ」という態度で、堂々と接してあげて欲しい。きっと女の子は喜んでくれる。あと、玉砕したら即次に行く統計学的姿勢も忘れずに。

「ぼく愛」は、恋愛工学の重厚な世界観をベースにした恋愛技法を学べる素晴らしい入門書となるだろう。このブックレビューに少しでも心震える所があったなら、間違いなく「買い!」だ。あなたが入門されんことを、僕は心より待ち望んでいる。

サウザー